【大阪市東淀川区】「才能がない人なんていない」—–上新庄に住むドイツの交響楽団元コンサートマスター がソリスト人生を通して伝えたいこと

大経大 ヴァイオリニスト

 東淀川区に在住の長谷川紘一(ひろかず)さん(79歳)は、ドイツ西部の文化都市・マインツにある交響楽団でコンサートマスターとしてご活躍されました。その後も大阪フィルハーモニーで活動。現在は大阪を拠点に音楽活動をおこない、並行して宝塚の音楽教室でヴァイオリンを教えられています。上新庄で屈指の文化人である長谷川さんにお話をお伺いしました。

大経大 ヴァイオリニスト

 まず驚くのは長谷川さん愛用のヴァイオリン。なんと世界の名器、ガスパロ・ダ・サロです。左右非対称の裏板が特徴的ですね。長谷川さんはこれまでストラディヴァリウスやアンドレア・ガルネリなどのたくさんの名器を弾いてこられました。しかし、ダ・サロと出会い、透明感とパワーを併せ持ち、かつこの多彩な音色に優る楽器は他にないと信じ、この楽器で演奏活動を続けておられるそうです。

大経大 ヴァイオリニスト

―― ガスパロ・ダ・サロとの出会いは?
 たまたま楽器屋さんで見つけて、裏板を見たらすごくやんちゃな顔をしてるんです。弾かせてもらったらパワーもあるしすごく綺麗な音で、特に中音部がいい音をしていました。一緒に見に行った先輩には低弦が駄目って言われたので少し調整をしてもらったら、そのうちにどんどん鳴り出して。弾いていたら涙が出てしょうがなかったんです。そしたら先輩であり、友達でもあったその方が購入して「この楽器を生涯使ってください」って僕にくれたのです。

―― 6歳でヴァイオリンを始められたきっかけは?
 私の父もヴァイオリニストで家でも教えていたので僕も習い始めました。ひどい時は3方から音が聞 こえてくるような家だったのでヴァイオリンが生活の一部でした。父はすごく子供達に慕われてましたね。父親に手ほどきって言ってるけど、実際はほとんどレッスンにならないんですよね。親子ってなると両方ともわがままが出て。父はいつでも私の練習をみれるだろうと思ってるし、私は私でわがままで言うこと聞かないからレッスンするのを嫌がって。

―― 当時は練習がお好きでしたか?
 もう全然。よくテープに録った演奏を流して練習しているふりをしていました。すぐ母親に見つかりましたけど(笑)。毎朝5時に叩き起こされて学校に行くまで練習、学校から帰ってもまず練習。遊び時間は1日1時間って決められていて、母がストップウォッチを持って待ってるんですよ。1分でも遅れると往復ビンタ!そんな厳しい母親でしたけど今となっては感謝しています。あれがなかったら今の私はなかったのでね。

大経大 ヴァイオリニスト

―― 23歳でドイツに渡られたとか?
 芸大を中退して2年経った時、ブレーメンの演奏家の方が大阪フィルハーモニーのコンサートマスターとして来日されていました。その方の公開レッスンのときに、ドイツに行きたいんです、と話したらちょうど空席があって。「ここでオーディションやるから明日来い!!」と言われ、大フィルの練習場でオーディションを受けました。そしたら「さっそく6月に来い」って言われたんです。オーディションは4月だったのに(笑)。

―― 海外でさぞご苦労されたでしょうね?
 当初は演奏が地につかない感じでした。先輩方が「誰でも間違う。間違うのは恥じゃないよ。だけど同じ場所で同じ間違いを3回やるな」と言われました。また、「君の演奏は周りで聴いている人には伝わるだろう。でも30m40m離れた人にはもう伝わらない。50m離れた一番条件の悪いところに座ってる人に伝わるような演奏をしなさい」と、ある指揮者の方から頂いた言葉は忘れられません。そういうのがすごく助けになりました。

―― コンサートマスターとはどんな仕事ですか?
コンマスはすごい権限を持っています。団員の演奏すべてについての責任があります。そして団員を信じ切らなければなりません。同じミスを繰り返すと呼んで注意し、それでも治らなければクビ。それくらいの権限を持っています。また指揮者が理不尽なことを言った時には自分の仲間を守らなければいけない。演奏中だけでなく色んな場面で団員をよく見てないといけません。

大経大 ヴァイオリニスト

―― 現在は次の世代のためにレッスンをされているそうですね?
 はい、「宝塚ミュージックリサーチ」という音楽教室と、個人レッスンもしています。教えていてよかったなあと思うのは生徒が真剣にレッスンを受けてくれている時ですね。とくにその子が伸びてすごい演奏をするようになったと分かるとすごく嬉しいです。

―― 地域の福祉施設で演奏されたこともあると聞きましたが。
 5、6回したことがあります。障害者の方は演奏を素直に受け取ってくれて、そこには見栄も何もない。また素直に感じたものを表現されます。奇声を上げる方もいらっしゃいますが、それは自分の感情を表す手段です。すごく喜んでたり何かを感じていると分かるので私は好きです。
楽器に触れて体で音を感じたがる方もいらっしゃいます。行動が分からないので介護士さんに付いてもらって実際に触れてもらいながら演奏したこともあります。

―― 教える上で大切にされていることは何でしょうか?
 「褒めるのは80%、叱るのは20%」と心がけています。褒めないと上手くならないです。嫌々やってもなんにもならないから。また僕は生徒によく「楽器に教えを乞いなさい」と言います。オールドヴァイオリンというのは歴史を持っています。そこにくるまでに色んな方の手を経てその人のところに来ています。それまでに名器になるほど名人が使ってこられた、その人の演奏の記憶を楽器が覚えています。だからその曲にあった音の出し方をしないと鳴ってくれない。その曲に合った演奏をすると楽器はとてもよく鳴ってくれます。それが楽器に教えてもらうと言うことじゃないかなと思います。

―― 最後に、ヴァイオリンをやりたい人、やっている人に伝えたいメッセージをお願いします。
 才能がない人、音痴な人なんていないんです。例えば音楽を聴いて何も感じない。嫌だともうるさいとも感じないのだったら音痴かもしれない。でも少しでも何か感じたら音痴ではないんです。ただし、習うに際しては趣味でやるにしても専門家になるつもりでやらないと趣味のレベルにもなりません。特にヴァイオリンは音程を作らないといけないので真剣にやらないとそこの水準までいきませんね。

 

 コロナでしばらく演奏会ができなかったので来年こそは実現させたいと考えておられます。また長谷川さんは引退後、ダ・サロを頂いたご本人にお返しし、その後寄贈される予定だそうです。生のダ・サロの音色を聴けるのは今だけかもしれません。皆さんもお時間があれば是非、地元在住のプロ・ヴァイオリニストの演奏会に足を運んではみてはいかがでしょうか。

【長谷川紘一(はせがわ ひろかず) 】
1942年生まれ。父は、優れた指導者で、国際コンクール受賞者も多数輩出した長谷川孝一。本人も父に6歳のときからヴァイオリンの手ほどきを受ける。その後、 鷲見三朗、卯束たつお、シュタフォンハーゲン、マルティン・バウエルトなどに師事。

長谷川紘一 公式ホームページ 「ガスパロ・ダ・サロの詩」

音楽教室 宝塚ミュージックリサーチ

【当記事は大阪経済大学と号外NETの連携プロジェクトによる大学生作成記事です】

(律)

ミニ佐藤3

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