140年前の国鉄遺構がついに無くなる!阪急下新庄駅北側で線路切り替えが行われました。
先週22日夜、阪急千里線 下新庄駅の北にある下新庄踏切で高架工事に伴う、上り線の仮線切り替え工事が行われました。
11/22終電後、淡路駅高架化に向けた下新庄~吹田の仮上り線への切替が行われました。これに伴い、官営鉄道時代から141年使われ続けてきた土台が残る神崎川橋梁もお役ご免となりました。聞き慣れたジョイント音がまた一つ消えました。
旧線最終列車は3331×8、新線1番列車は3329×8でした。
11/23/2017 pic.twitter.com/07FdBkTVyd— ほーや (@hoya_railway) November 23, 2017
終電後に行われた工事の為、千里線のユーザーにとっては「いきなり変わってる!?」と思った人もいるかもしれませんね。
上下線ともに仮線へと移動し、これからは旧線のあった場所で高架工事が進んでいくことになります。
この旧線の廃止に伴い、
写真手前の橋、神崎川を渡る新神崎川橋梁も廃止となってしまいます。こちらの橋、ぱっと見た感じはただ普通の鉄道橋といった感じなのですが、
実はこの途中で使われているレンガ積みの円柱の柱。これはなんと今から141年前から使用されてる柱なのです!
1872年(明治5年)に新橋駅ー横浜駅間で日本で最初の鉄道が開通しましたが、その後、関西地方でも鉄道の敷設が進められ、1876年(明治9年)に大阪駅ー向日町駅間で国鉄(今のJR)の旅客線が開業しました。
(明治44発行1/20000「吹田」等 この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
実はその開業当時は今と通る場所が異なり、崇禅寺から下新庄あたりを走り、吹田へと走っていたのです。この時、神崎川を渡る橋に使われていたレンガ積みの柱が一部現代でも使われ続けているのです。ちなみにこの旧東海道線は1915年に現在のルートへと付け替えが行われ、その廃線跡が阪急の前身である北大阪電気鉄道に払い下げられたことで現在の阪急千里線へと至ることになります。
鉄道ファン以外にはあまり知られていませんが、140年以上も歴史ある遺構だったのです。知らなかったという人は高架橋が建設される前に一目見てみるのはいかがでしょうか?
日本の鉄道黎明期から歴史を紡いできた遺構から、これからの未来を支える高架橋へと時代の転換点に立ち会うことになりそうですね。便利で使いやすい鉄道となるように早く高架切り替えが迎えられることを願います。
新神崎川橋梁はこのあたり
☆まゆっくまさん情報提供ありがとうございます☆
(あわわ)