菅原で操業してもうすぐ100年!あの企業のシンボルがこの春でなくなってしまう!?
生地の製造・染色・加工を行う飯田繊工。1920年から菅原で操業し、今でも大きな工場があります。最近引っ越してきた人は現在のコーナンの場所も工場だったと知らないかもしれないですね。
(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ」((C)谷 謙二)より、筆者加筆)
1932年に発行された地形図からはまだ工場の周りに田園風景が広がっていたことがうかがい知れます。この頃は赤川渡が現役だったようです。
そんな昔からある飯田繊工の工場が最近また少し変わってたことにお気づきでしょうか?
ここです!
(Googleストリートビューより)
以前は側面に「飯田繊工」と書かれていた大きな煙突が、
すっぽり覆われてしまったのです!!「もしや!?」と思い飯田繊工さんに電話で問い合わせてみると、
やはり、「解体工事をしている」とのことでした。話によると20年ほど前に工場で使用する燃料を重油からガスに切り替え、その時以来使用していなかったそうです。
コーナン建設の際もそのまま残されて、資材館の奥にそびえ立っていたのですが、老朽化に伴い安全面の問題から今回解体することになったそうです。工事は3月末までに終わるそうで、昔からのランドマーク的な存在が春には無くなってしまうようです。
下新庄のNTT西日本東淀川ビルの電波塔と、
南江口の環境局東淀工場の煙突と飯田繊工の煙突、3本を勝手に「東淀川3大タワー」だと思っていたのですが、その一つが無くなってしまいます。ちなみにこの3本は淀川の堤防から一目で見ることができます。
煙突は解体されてしまいますが、工場自体はまだまだ操業中。東淀川を代表する企業だけにこれからも一層頑張ってもらいたいですね!
飯田繊工はここ
[map]東淀川区菅原2―2―104[/map]
(あわわ)
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