聖徳太子の自画像があると思う…大道南にある大宮神社
※wikipediaより
大道南の内環状線沿いにある大宮神社。
※こちらの写真は情報提供フォームより頂きました。脇坂さん投稿ありがとうございました!
しばしば当地に行幸されたという第27代安閑天皇を本殿では主祭神として祀られているようです。
実は聖徳太子もこの当たりに何度か訪れていたようで、現在天王寺にある四天王寺を建てようと視察に来られたいたとか。
ではなぜここでは無くなったのか?
当時の淀川は、現在のようななだらかカーブでは無く、曲がりくねった形をしていたため、洪水が大変多く、聖徳太子はここに建てるのを諦めたという残念な物語があったようです。ただその際に、この周辺の村々の方はたいそう聖徳太子をもてなしたことから、聖徳太子自ら書いた肖像画を奉祀したようで、
この聖徳太子社に祀られているそうです…
そうなんですが…
神社の方にお話を伺ったところ、確かにここに祀られてうるようですが自分も実際に見たことがないと…
「え!?見たこと無いんですか?」ってもう一度聞き直したんですが
「そう、誰もみたことが無いよ。」
え!誰も!?
ということは…何か箱みたいなのはあったとしても、中身が無い可能性もあるんじゃ…って聞いたら
「いやありますよ!」ってきっぱりおっしゃってました(笑)
実際のものは掛け軸のようなものに書かれているそうですが、聖徳太子がどんな自画像を書いたかめちゃくちゃ見てみたいです!
最近ではあの聖徳太子の肖像画は別人だったかも?なんて話題もWEBでは上がってたりするので、これと照らし合わせたらはっきりするかもしれませんね。
その一連の流れから、淀川の改修までは、西成郡豊里村天王寺庄と称していたようで、豊里の名の由来もこの聖徳太子の別称「豊聡耳皇子」からちなんだものであると、社の裏(なぜか裏)に書かれています。
現住所は大道南なのでややこしいですね(笑)
淀川改良工事までは旧淀川北岸の堤に面していたようで、移転前の貴重な写真です。
神社の方にこの淀川の工事の際の面白い話を聞けたのですが、それはまた別の機会にでも。
(ノット)