【東淀川区】改元記念 元号特集企画!明治初期に崇禅寺が「県庁所在地」だったって知ってた?一時は兵庫県になったことも!?
昨日5月1日に平成から令和へと改元しました。そこで、一世一元の制となった明治から令和にかけての改元周辺で東淀川区では何が起きていたかを本日から4日間連続して(+αありで)特集していきますよ!
第一弾となる今回は「明治」!
西暦1868年が明治元年。明治維新で国内の制度がさまざまに変わっていった頃なのですが、実は明治2年には崇禅寺に県庁所在地が置かれていたことがあったんですよ!
ということで、実際に崇禅寺へいってみました!
南側の門の前には、
「摂津県 豊崎県 県庁所在地跡」という石碑が立っています!一体どういうことなのかを簡単に説明すると、
古くよりこの土地にあった村は摂津国西成郡に属していました。明治政府は全国各地の管轄のため、県を設置。そのときに現在の高槻から尼崎にかけてが「摂津県」としてまとめられ、その役所が明治2年3月4日に崇禅寺へ設置されたのです!ちなみにこのときの知事は歴史の教科書でも登場する「陸奥 宗光」だったようです。
ですが、当時は制度がどんどんと変わっており、なんと同年5月には「豊崎県」へと改称。さらに8月にはなんと兵庫県へ編入!
兵庫県の豊崎出張所となりました。しかし、兵庫県だったのもたった一ヶ月で、9月には大阪府の管轄となりました。その後も何度も管轄がかわり、廃藩置県として知られる明治4年の第1次府県統合までは混乱した時代が続いていました。
今の時代にこんなにも短期間で名前や管轄が変わったら大混乱が起きていたでしょうが、当時は村単位でのまとまりだったので実害としてはあまりなかったのかもしれませんね。
江戸幕府から明治政府へと時代が変わるに伴い、多くの制度が変わっていきましたが、身近な東淀川区でも多くの混乱があったことを知る石碑でした。
普段あまり目立たないところにある石碑ですが、ぜひ近くを通りかかったときに見てみてはいかがでしょうか?
明日(3日)は大正への改元周辺での出来事について特集します!
崇禅寺はここ
(あわわ)
参考:東淀川区史(東淀川区史編集委員会・昭和31年発行)・摂津県・豊崎県県庁所在地跡(東淀川区役所)